矢高諏訪神社について


「絶景かな 絶景かな 長姫城址から真向かい」
長姫城の本丸から眺めると矢高の森は、真正面にみえ、空をとべたら歩いていけそうな手のとどきそうに近くに感じるところから、飯田藩の藩主達はこぞって武選長久を祈願しました。(飯田藩主 脇坂安元候寄進の鉄砲二十目筒がある)
天保初年(1830年代)石段が完成した際には、ときの藩主堀親寚は(ほりちかしげ)「長姫城から眺めて、たいそう立派にできたから
桜を植えよ…と金壱封を賜ったとか…」
現代の私どもがうかがっても喜ばしい、うれしいお話ですね。
石段の近くに住む山下さんも「この桜は殿様がくださったもおだと言われている」と語っておられます。

天保初年(1830年代)石段が完成した折り、殿 堀親寚(第10代藩主)の桜への熱き想いを知った村の衆は「ソレッ」とばかりにそこいらじゅうを探しかけまわり、どっしりと力強く伸びる幹、勢いよく張り出す迫力ある枝っぷり、天守閣からの眺めも姿も美しい横綱風格の銘桜は、そうして探し出され植えられたのではないかと推察されます。
時の飯田藩主堀親寚は、知恵と勇気の殿として、家来を励まし、民にやさしく、学問武術に秀で、江戸城内で老中核(今でいう大臣クラス)まで登りつめました。
親寚のもと飯田の一番栄えた時代と言われ、出世殿として知られています。
しかし、月日が経つにつれ、飯田の民の事も忘れがちになって側室の若山をちょう愛し、その暮らしぶりは目に余るものになっていきました。
一方、当時江戸屋敷に仕えていた山口不二は、若山の浪費とおごりの姿を見聞きする度に、堀家安泰のため、領民救済の為と鉄のごとき決心を固め、機をうかがい懐剣をしのばせ若山の背中へ一突き!
罪人となったお不二は、生まれふるさとの飯田に送り帰され、22歳の若さで処刑されました。のちに「烈女」「女性の鏡」と言われ「お不二様」として、女性に慕われ飯田市箕瀬の長源寺にあるお墓で今も眠っています。
この石段の桜を不二はきっとお城から眺めていることでしょう。
矢高諏訪神社周辺のさくらマップ
品 種 | 花 色 | 花弁数 | 花 径 | 開花時期(見頃) | |
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染井吉野 | 淡桃白色 |
5枚 | 3.5~4cm | 4月初旬 |
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江戸彼岸 | 白~紅色 |
5枚 | 2.5cm | 4月初旬 |
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紅山桜 | 紅色 |
5枚 | 4cm | 4月中旬 |
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彼岸桜 | 淡紅色 |
5枚 | 2.8cm | 4月初旬 |
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普賢象(ふげんぞう) | 淡桃白色 |
30枚 | 5cm | 4月下旬 |
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山桜 | 淡紅~紅色 |
5枚 | 4cm | 4月中旬 |
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かすみ桜 | 4月初旬に見頃だった桜ですが、残念ながら枯れてしまいました… |
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関山(かんざん) | 濃紅色 |
40枚 | 5cm | 4月下旬 |
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彼岸しだれ | 白~紅色 |
5枚 | 3.5cm | 4月初旬 |
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寒桜(支那実桜) |
淡桃白色 |
5枚 | 3月中旬 |
矢高諏訪神社境内エリア
品種:江戸彼岸、染井吉野
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矢高中央公園南エリア

品種:紅山桜、彼岸桜、山桜、普賢象、関山、寒桜
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矢高中央公園北エリア
品種:江戸彼岸、染井吉野、山桜、彼岸しだれ
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矢高諏訪神社石段周辺エリア
品種:江戸彼岸、山桜
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【見どころコメント】 石段の脇にたたずむ大きな名桜「殿様三本桜」。幹回り4メートル弱推定樹齢350年余り。 植栽された当時、出世殿として知られている第12代堀親(ちか)しげ殿をめぐる女性たちの争いや、盛んに一揆が起こっていた経済状況など、思いをはせて桜の花を見ると愛おしくなります。 |